明智大正村・白鷹城に登ろう!古城探検第八弾
さてさて今回は旧明智町の明智城、別名白鷹城に登ろう!です。
今回のルートは下図のように
駐車場→
駅前→
浪漫亭→
旧役場前→
ロマン館※時間の関係上素通り→
三笠家住宅※素通り→
秋葉神社→天神神社→
明智城三の丸※腰曲輪→二の丸→出丸→本丸→
中馬街道→南北街道→終点浪漫亭といったコース。
大正村と合わせてリポートしたいと思います。
昔は500円位の有料駐車場でしたが、現在は無料駐車場になっています。
車はけっこう停まっているものの、観光客はまばらです。
おそらく寒いからだと思います。
駐車場からとりあえず
明智駅に向かいます。
メインの大正村観光案内所です。
時計台のようなシャレた建物です。
駅前の様子。
かなりひろいです。
歩いてすぐのところに駅があります。
商店街は昔ながらの面影を残しています。
お店でお菓子を買ったりします。
点在する大正チックな館がいい感じです。
通りも大変風情があります。
大正というよりは昭和の香りでしょうか?
通りを過ぎると民家もまばらに。
上記の写真は右手に大正ロマン館、左手に代官所跡があります。
代官所には大きな門扉が見えます。
T字を左手に折れ大正ロマン館と三笠家住宅を行き過ぎたところにひっそりと明智城跡があります。
徒歩15分ですので散歩コースですが、積雪があり、斜面が滑るので大変です。
ルートとしては
大正ロマン館→三笠家住宅→秋葉神社→天神神社→明智城です。
山の中腹に天神神社まで少し上り、そこからさらに歩きますが、ここからの昔の土木工事がすごいです。
※天神神社より天守を望む。
通る場所は堀のようになっていますが、大型の土塁をかきあげ、
堀が深く、畝状の堀が縦に何本も入っています。
大洞城のように渦巻状になっており、3の丸、出丸、2の丸そして本丸がはっきりとわかります。
石垣は出丸に少し残存している程度です。
見事に掻き揚げられた土塁の中が通路となっています。
急な斜面を上がるとそこには
腰曲輪跡という看板が見えます。
ここは3の丸に位置し、左手が出丸
右手に2の丸と3の丸があります。
出丸石垣跡です。
積雪のためよくわかりませんが、出丸は台地状に突き出ており特殊な地形が大変よくわかります。
腰曲輪の前に急勾配があり、そこの細い道を上がってくると出丸と腰曲輪にでます。
そのため出丸の兵力と腰郭、二の丸の兵で挟撃できるような構造になっており大変おもしろいです。
この腰曲輪におそらく虎口的な防衛施設があったと思われます。
出丸方面は通ってきた通路の直上に位置し、その高低差から敵の位置がよく視認できるようになっています。
二の丸跡
二の丸は腰曲輪の上に位置し、広い台地状になっています。
ここ東濃は織田軍と武田軍の国境に位置し激戦区であったため山城が発展したのだと思います。
事実戦国末期には合戦があり、武田軍により落城しています。
明智小学校がよく見えます。
視点をずらすとバローなども見えます。
本丸台地跡です。
人為的に削平してあるのがよくわかります。
登山道はよく整備されております。
降りると団子杉はこちら
というそれはそれは興味をそそる看板があったものの、
滑りに滑って濡れていたのでここは泣く泣く諦めることに。
山を降りるとすぐに中馬街道に出ます。
大変趣があり、街道の風情を残しています。
あずまや精肉店さんでコロッケを買って食べました。
まどから映る景色が粋ですね。
コロッケ2つの注文で
こどもにソーセージとみかんまでもらってしまいました。
とうふのつかささんで豆腐をおみやげに買うと
大量のおからをもらいました。
みなさんの優しさが伝わってくる良い街です。
※ヨレヨレの子供2人連れで不憫に思われたのでしょうか・・・
優しさと前向きに解釈します。
このような裏路地がたくさんあります。
昭和と大正が融合したのんびりした空間です。
あまり派手さはありませんが、のんびりした空間で大変たのしかったです。
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