岩村城に行こう!古城探検・第五弾日本のマチュピチュ編第1回 

さて、今回は秋におとずれた岩村城です。

日本3大山城です。

ここは大変歴史のある街、城があります。

これらの街、城には悲しい歴史があります。

ここは信濃と美濃の境に位置する軍事上の重要拠点です。

武田、織田の国境に位置し、常に緊迫した空気が流れた地点です。

以下WIKIPEDIAから抜粋。
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岩村城の歴史
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◎1570年(元亀元年) 遠山氏最後の城主は景任で、武田信玄の武将、秋山信友によって攻められたが織田信長の武将、明智光秀の援護もあり、守り抜いた。

◎1571年(元亀2年) 景任が病没すると信長は5男で当時6歳(2歳、3歳説もある)の坊丸(織田勝長)を遠山氏の養子とした。景任夫人は信長の叔母にあたる女性(通称はおつやの方など)で幼少の養子に代わって女城主として差配を振るった。

◎1572年(元亀3年)10月、信玄は大軍を率いて遠江の徳川家康を攻撃するために出陣し、同時に再び信友に岩村城の攻略を命じた。しかし、城はこの際も容易に落ちなかったが、信友は夫人を説得し妻に迎えることを条件に城は開城した。

◎1575年(天正3年) 長篠の戦いの後、武田勢が弱体化した期に乗じ信長は岩村城奪還を行った。長男信忠を総大将に攻城戦を行い5ヶ月にわたる戦闘の後、城は陥落した。開城の際、助命が約されていたが織田方はこれを翻し、信友夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑された。

ということです。5ヶ月にわたる激戦の末、悲しい結末が待っていたのです。

さてさて悲しいお話はこれくらい。

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大きい水車のあるおばあちゃんの里山岡に到着
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山岡は恵那市に編入されました。
岩村も恵那市になっています。

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ダムによって出来た人工湖です。

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水力発電のモーターがあります。

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ここから山岡駅前に。

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ちょっと足をのばして山岡駅前に。

絵に描いたような田舎の駅舎です。

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牧歌的でとても良い雰囲気があります。

休みの日は売店がやっていないようです。

さてさてここからいよいよ岩村城に行きます。

第二回につづく

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