一柳城(大洞城)攻略・古城探検第二弾・一柳城攻略3
一柳神社、城主館跡からやや左の尾根を進んで登山しています。
現在本丸下の部分です。
北側郡上方面です。
武儀倉、雁祖礼地域を望んでいます。
眼下には武儀倉川があります。
郡上八幡城へは細い街道ですが、しっかりとした道があります。
郡上八幡方面への押さえとして重要な拠点ということがわかります。
こちらは西、岩山崎方面です。
津保川流域方面です。
眼下に富之保グラウンドおよび水無神社が見えます。
こちらが想定される敵軍の進行ルートですが、動きが全て分かります。
左下には櫓があったと思われる小高い丘があります。
ここから尾根が連結しており、ここを見張り台もしくは櫓として利用していたと思われます。
進行してきた敵を両側の尾根から挟撃できる仕組みになっています。
いわゆる(虎口)という構造でしょうか。
こちらは南方面、町とよばれる地域がかすかに眼下に見えます。
町という地名ですが
人はほとんど住んでいない無人の地域です。
ここからは想定ですが、この町と呼ばれた地域に城下町があったのではないかと思っています。
現在一柳と呼ばれる地域は堀である津保川の内部にあります。
そこをのぼってきたわけですが、マルマンさんの上、神社の所には水平の丘があります。
ここがお城の搦手方面になりますが、この丘が城主の舘、一柳地区が主要な家臣の居舘の地区だったと思います。
現在町と呼ばれる地区には一件しか家がありません。
ここに城下町があったと思われる理由
1.おおきな神社がある。
神社は昔で言う公民館の役割を果たしていました。
ここにおおきな神社があるということは、そこに集落が存在していた可能性が高いと思います。
2.地名
地名がずばり(町)という地区です。
3.区割り
上の航空写真を見ると町と呼ばれる地区の田畑が割合正方形に近い区割りで大きめに取ってあります。
その区割りが非常に均等で均整がとれているのに驚かされます。
之は京都に代表されるような城下町の区割りに似ているのではないでしょうか?
4.町割り
上にもかきましたが、城の城下町は八幡にしても加治田にしても安桜山城にしても城の南側に構築されるケースが多いです。
この一柳も近隣のこれらの城に類似していたとは考えられないでしょうか?
5.城の位置
現在この旧富之保村の市域は武儀東小学校のあたり、岩山崎方面に移っています。
であるならば本来この武儀東小学校の裏手の山が比高も高く急峻で防御陣地として優れているような気がします。
ではなぜこれらの町地域から人がはなれ無人の地域になってしまったのか?
というミステリーが残ります。
これは、
1.交通の便
今でこそ生涯学習センターの道が出来ましたが、それまでは丘と川に挟まれた陸の孤島であったこと
防御用の陣地としては最適です。
2.日当たり
南面の山が急勾配で直立しており日当たりが非常に悪いこと。
3.街道としての利便性
旧富之保村は、郡上方面からの街道と言うことで発展した可能性がありますが、
平和な時代には郡上から抜ける武儀倉、岩山崎という宿場的な街の重要性が増したこと
などが主な原因と考えられます。
いまなおミステリーががいくつか残るこのお城ですが、
山全体が城塞として存在する一柳地区のおもしろさですね。
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