信長の安土城へ行こう!古城探検第27弾・第3回

27弾・第一回はこちら

さて今回第3回は

城郭下を通って城域に入りたいと思います。

P1110847 - コピー

圧巻の大きさ、太い道です。

この道が上の方まで続いています。

麓の売店で見学料を払い、上に登っていきます。

拝観料500円、子供100円です。

P1110859 - コピー 

大手道とよばれる正面道を登っていきます。

左側が

”豊臣秀吉館跡”であり、

 P1110861 - コピー 

右手が前田利家館跡とあります。

ただ、この有名な2人以外にも重要な武将は多々あり、

これが伝承の域をでないことから、

他の武将の館だった可能性が高いのではないかと推察します。

P1110849 - コピー 

武将の似顔絵がありますね。

P1110854 - コピー P1110855 - コピー

このような多岩がゴロゴロしており、如何に雄大な

”石の城”

だったかがよくわかります。

P1110856 - コピー P1110857 - コピー 

P1110874

現在石垣がない部分でもこのような曲輪が多数存在しており、その規模が計り知れません。

P1110868 

巾は大変広いものの、この勾配が続くので息がきれます。

P1110853

どのような形状だったのか。ということを解説する石碑もあります。

 

P1110871

上から下を見ています。

傾斜が強いですが、脇には平地があります。

このまわりがすべてなんらかの構築物があったということです。

参城者は

この光景を眺めつつ城に登ったのだと思います。

P1110861 - コピー

P1110869

岩に何らかの穴が開いていました。

何のための穴でしょうか?

いまからでは推察することしか出来ません。

P1110880

たまには休憩。

P1110872    

ここから傾斜がゆるやかになり、森に入っていきます。 

P1110884     

P1110887

P1110893

当時の武将の気持ちを思いながらここを登ります。

P1110897

二の丸下の虎口です。

P1110905

緑と白のコントラストが大変美しいです。

 P1110907

たまには滑ることもあります。

P1110910 

信長の廟跡。先方の石垣はおそらく後から作ったものです。

P1110917 

もみじは秋が有名ですが、夏もみじも太陽の光を適度に通すので大変美しいです。

P1110920 

樹齢数百年を超えると思われる大木。

P1110922

かの小谷城を彷彿とさせる、千畳敷です。

驚くことにまわりをグルっと石垣が囲み、
当時は圧巻だったと思います。

石垣の上に巨大な建造物があり、見るもの、歩くものを圧倒していたと思います。

つまり、巨大な道路は参列者に対して

”信長の威光”

を示すためのものであり、

”敵から責められることを想定していない”

ということがわかります。

つまり

あの巨大な山岳要塞の観音寺城のように

”守る城”

ではなく、

”見せる城”

だったと推察できるのです。

戦わずして勝つこと


こそ上善である

というのが孫子の兵法ですが、

この城を見れば敵は自ずと戦意が喪失してしまう。

そのような城を築き上げたのだと、そう思います。


信長は美濃攻略で大変な目にあいました。

それから”
明智光秀”と出会い、将軍足利義昭を担ぐことで

<font size="4"
>僅かな日にちで機内を平定しました。

この時

だれよりも

”戦わずして勝つ”


ことの重要性を理解していたのではないかと思うのです。


後に戦わずして勝つ。


ことを

三法師を担いだ秀吉が実践していることもまた興味深いです。

故にこの安土城は、

観音寺城のような急勾配の山岳要塞ではなく、

麓の見晴らしのよい場所に築かれているのではないかと思えるのです。

P1110749

右側の大山が観音寺城

左側の小さい丘が安土城。

P1110934

そんな想いにふけりながら千畳敷にて休憩。

小谷城の武者溜まりのような機能ではなく、

もっと魅せるなにかがあったのではないかと思います。

 P1110931 

千畳敷を取り囲む、巨大な岩の壁。

高さ3mはあろうかという巨大な岩壁。

この直上が安土城本丸です。

P1110941

 

千畳敷から本丸へ向かう道。

光が指しています。

P1110943 P1110946


ここはまわりをグルっと石垣が囲んでいます。

 P1110999

これは地下一階、地上六階の地下部分にあたります。

7階の木造構造物をこんな山の頂上に立ててしまう。

財力と権力の象徴ですね。

P1110947

束石がたくさん並んでいます。

P1110952 

遠く琵琶湖、その向の山々が見えます。

前方の田畑はすべて海だったということです。

 

 

 

P1110964 P1110967


大津、坂本方面をみています。

湖の反対側、坂本は明智光秀の居城です。

これは

”光秀さんもプレッシャー感じるわ。”

そうおもいました。


この安土は

長浜の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)

坂本の明智光秀

を監視できる場所にあり、

北陸方面の柴田勝家の連絡道、北国街道を目視できるこの地は

戦略上、組織運営上の拠点として優れていたのだと思います。

安土は下地図の近江八幡の近くにあります。

aduti12034

P1110969 


彦根方面を望んでいます。

デカい山は佐和山でしょうか。

 

 


ひたすら、絶景と心地よい風を楽しみました。

本能寺の変は秀吉の高松城攻め、6月21日ちょうど梅雨時に起こりました。

ここで一句

安土山

天へと続く岩の道

つゆ(梅雨)と消え行く


夢の登楼

 

第4回に続く

 

つづく第4回はこちら



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)