信長の安土城へ行こう!古城探検第27弾・第3回

今年の9月はもう秋ですね。

大変涼しく、空気も乾燥して雨も少ないということで去年につづいて

登ってきました。

今回は、あの信長が築いたとされる

”安土城”でございます。

そもそも、古城の探検もスポーツ少年団に入るということで1年の限定でしたが、

平日夜のスポーツに変更になったため日曜日でも出かける事ができるようになりました。

ということで第二部になります。

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安土駅の裏手の駐車場に停めました。

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料金はなんと200円です。

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安土駅南側

ここから駅方面に歩いて行くと、安土城跡資料館があります。

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南口からは地下道で北玄関にでます。

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信長の鎧です。

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資料館大人200円と割合リーズナブルです。

 

 

資料館に入ると安土城の模型があり、内部構造を知ることが出来ます。

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お着替えコーナーも、陣羽織が試着出来ます。

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こちらは安土城でございます。

といっても

安土は左側の小さい丘のようなものです。

右側の巨大な山が

”観音寺城”となります。

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こちらは大小1000を超える曲輪郡からなる

巨大な山岳要塞で、比高差約360m

その落差が凄いことがわかります。

こちらは日本を代表する山城です。

ではなぜ安土城を

このような低い地形にもってきたのか?

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このミステリーについてはまた後ほど解き明かしていきたい。

そう思います。

 

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創造復元図です。

昔は安土城跡が琵琶湖に対して突出していたことがわかります。

また現在の市街地よりも大幅に市域が大きく、琵琶湖を中心とした機内と岐阜を結ぶ結節点にあたるという戦略上の意義を持ちます。

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当時、信長は我が岐阜県の岐阜城を本拠とし、政務を執り行っておりました。

東方の武田軍とは土下座外交により表面上は仲がよく、

さらに東方に対しては、同盟国の徳川家康が三河を抑えることで、

西方にその軍事力を集中出来ました。

これが信長が飛躍的に領土を拡大できた一因ではあります。

ただ、松永久秀、荒木村重など度重なる反乱や六角の残党など頭を悩ませることが多く、

その都度、

京都と岐阜を行き来せざるをえなかったことが


信長公記にも記されています。

これは信長の大きな悩みの種だったのではないでしょうか?

そうしたことから岐阜と京都の中間地点に本城を移設することで

重心をおおきく西に持ってきたことがわかります。

そもそも信長はそれ以前にも、

清須から小牧へ

小牧から岐阜へ

そして

今回の岐阜から

安土へと

どんどん拠点を京都、機内方面に向けて遷移しているのです。

リアルせんとくんというわけです。

また琵琶湖を利用しての水上交通で移動をはやめていたということもわかります。

さてその安土ですが、現在はとても小さな小さな町になっています。

安土城も本能寺の変の直後、

”明智光秀”に焼き払われ、

現在は、城域その他地域の発掘と復元作業が行われています。

 

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この地下道から入っていきます。

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地下道をくぐります。

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駅前に到着しました。

北口が玄関口でレンタサイクルショップなどが軒を連ねています。

右手奥に見える山が観音寺城の山になります。

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和菓子屋さんで金柑大福を買いました。

まるごとの金柑が入っており、大変ダイナミックなお菓子です。

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駅前のレンタサイクルショップで、自転車を選びます。

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こちらは2人乗り用”ママチャリ”をチョイス。

レース用に改良されたであろうママチャリは限界まで軽量化が施され、

3速のハンドル式切り替えがついています。

前タイプと後ろタイプがありますが、前タイプを選択しました。

重心が高すぎてはっきり言って”コワイ”です。

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お店の方に、おすすめコースを聞いて、いざスタートです。

 

第二回はこちら 



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