ド田舎ロケット26

展示会出品がおわりましたので、ど田舎ロケットの続きを記載していきたいと思います。

だいぶ時間がたってしまったのでだいぶ誇張、間違い、おおげさ、紛らわしい部分があろうかと思います。
ちなみにイメージでは私は木村拓哉さんになっております。
(とんでもない誇張だなバカッ❢❢❢)
◎外野の声
外野の声に悩まされること。それは素直で若いインターン生にとってはとんでもない劇薬になりうる。
そう思いました。 
ダース・ベイダーになったアナキン・スカイウォーカー。
彼もとても繊細で、正義感あふれる人間であったことは記憶に新しいと思います。
いわゆるダークサイドに入る。
これがもっとも恐れていることでした。
インターンを受け入れる代表は、このダークサイドに入ることを極端に恐れなければなりません。
G-netさんの他の受入企業さんの社長さん方とお話をすると圧倒的な熱量でもってそれをカバーしている社長さん方や、社内のシステムとしてカバーする。といった社長さんが見えました。
圧倒的な実績をもつ社長さん方と比較して自分はなんと足りないんだろう。
そう思ったこともあります。
しかし、生まれてこの方、足りないということ、劣っているということ。それは自分の原点でありだからそこなにかできるはずだ。そう心のエンジンを焚き付けて動いていた。そう思います。
◎内憂外患
内憂外患この言葉ほど中小企業の社長にとって重い言葉はないでしょう。
外では戦い、中では問題が発生する。
ということです。
◎インターンの問題
インターン期間中でも問題が発生してきました。
橋本くん自体が度重なる体調不良になやまされることになってきたのです。
原因不明もとからあった持病てきなものが再発してきた。
そう聞きました。
それは物事の結果であって、おそらくはストレス等心理的負担によるものではないか。
そう思いました。
インターン事業
学校
の通常業務に加え、アルバイトを始めた。という話を後で聞きました。
そして
学校ではインターン事業をやっていることから授業に出て発表をしてほしいという依頼がくるようになり学校からの依頼事業も増えてきたようです。
思い返せば学校とアルバイトだけでアップアップしていた僕と比較してもとんでもない活動量と言う事がわかります。
そして多くの事業をやれば、それは一つ一つにかける熱量も変わってくる。そう思いました。
G-netの石田さんと相談しながら定期的な報告やコミニケーションを取りました。
しかし内憂外患はさらにこちらを襲ってきます。
スタッフが抜けたことにより応援でずっと現場に入らなくなってしまったのです。
それはただでさえ少なくなってきたコミニケーションの量が、質量ともに落ちてくることを予感させるものでした。
この時期は我々の事業の暗黒面とでも言うべき時期だったのかもしれません。
工場の稼働もフル稼働で、このころの残業平均は130時間をオーバーしていたと思います。
私自身も心身ともにヘロヘロになっていたのかもしれません・・・・


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