2.観音寺城へ行こう❢❢❢

さて、古城探検第2弾


今回は、観音正寺から観音寺城へ向かうところです。

はっきり申しまして、私この観音寺城について予備知識が全くの0でございます。

どうも立て看板等をみると、佐々木六角市という記載があり、応仁の乱の記載が多いです。

と言う事はこのあたりは応仁の乱のあたりがメインだった可能性がありますね。

さて、この観音正寺も広い意味で言えば城の曲輪だった可能性が高く、
そういう意味ではなんとかの丸という名前がついていたのかもしれませんね。

今からはうかがい知ることはできません。

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さて、この大仏さんの横に、秘密の抜け穴があります。

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ここを通っていくと10分で大階段に。

途中も山全体に遺構がのこっております。


ラピュタのような・・・・

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あっさりと本丸跡にでました。

ここはきぬがさ山のピークではありませんが、見晴らしがよいからでしょうか。
ここより上がまだありそうです。

巨大な平地が広がっており、岩盤全体を掘削して作ったのかもしれません。

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全く読むことができません・・・・

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周囲をぐるっと囲うように石垣で盛り上げた土塀があります。

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城の動線でもっとも大事な虎口と呼ばれる場所です。


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伝平井丸、伝池田丸を超えていきます。


そこから下ったところに大石垣があります。

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この旗がなければ完全に見落としていたでしょう。

ぬかるみがあり泥状になっているので長男がぐずりだしました。

”もう山登りはこない❢❢❢”

とか言い張っています。

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頂上でヤッホーッ❢❢❢

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さっきまでもう来ない!!と豪語してましたが、満面の笑みです。

みんなでかってきたおにぎりを食べます。


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眼下には登ってきた城下町が見えます。

今はそれほどですが、昔は城域も広かった可能性があります。

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はるか湖国を望む・・・

岐阜とは違った趣が会って面白いです。

湖国は平地に山が点在している。
という風情ですが、
岐阜は山に平地が点在している。
そんな感覚。

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さて、少し下ると、観音寺城最大のみどころ

大石垣が見えます。

山を掘削し、平地とします。
そうすると土留が必要になります。

それが石垣の役割。

名古屋や大阪といった平和時の石垣とはまた違った機能があるんですね。

苔や草木が年月を物語っています。

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祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・・

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さて、我が岐阜の方を望むもそちらは見えず。

伊吹山が目印ですね。

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下りは兄弟で喧嘩しながら進んでいきます。

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次男が俺がリーダーやぞ❢❢❢

叫びながら、長男を抜かそうとしたその時❢❢❢


ズルズルズルっつ❢❢❢


コケて脚を強打❢❢❢


そこからグズりが止まりません。

降りる時に、

”俺がリーダーやのに、ゆうくん【兄】がぬかしてってさー、俺を怪我させたんやし”

頭の中では、自分が抜かしてコケたのが人のせいになっているようです。

あたり屋かおまえは❢❢❢

どうも聞くと、兄のようなリーダーになりたい。

という思いで先頭を引っ張ろうとしていたようです。

で、その兄に怒るというわけのわからない理論。

むりやり謝らせれば喧嘩もおさまります。
麓につくころには笑いながら戻ってきました。

よく見ると城下町というよりは門前町の風情ですね。
 DSC_1043.jpg DSC_1045 as 
正面電柱の直上にある見晴らし台大石垣

その上が池田丸、その上が平井丸、

そして見えませんがその上が本丸
右上が観音正寺のようです。

というわけで若干どろんこになりましたが、ここから第二のエリア、
琵琶湖博物館に向かうことになりました。

9時30分に出て、11時24分到着ということで2時間あるき続けた計算になります。
 


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