木曽路は全て山の中 ついに馬籠宿へ。馬籠峠の頂上で部屋のなさを叫ぶ。その4
さて、念願の中古住宅を手に入れましたが、
私、部屋がないのであります。
唯一、前の住人が残していった
バイクガレージが私の部屋(のようなもの)になっており、
バイクガレージが私の部屋(のようなもの)になっており、
その広さ、約2畳、いや、1.5畳といったところでしょうか。
ここに固定ローラーをおき、心置きなくローラーを回しております。
まぁ前の家に比べたら天国でございますがね。
しかし、なぜ一家の主たるワタシが半外部で、
嫁さんや子どもたちは部屋があるんでしょうかね❢❢❢
嫁さんや子どもたちは部屋があるんでしょうかね❢❢❢
JAROに電話しないといけませんかね。
JAROに。
JAROに。
どうもこんにちは。
まぶちでございますよ。
前回の続き。
ついに木曽路への入り口に到達しましたが、ここから中山道をとおって馬籠宿に向かいます。
落合宿
ついに”これより木曽路”への看板をみつけ、テンションが上がってます。
”これより三役”
みたいでいいですね。
みたいでいいですね。
一旦区切りを入れて、まぁ襟をただすとか、そんなニュアンス。
ここらへんはアメリカンにはわからない領域ですよ。
日本語の言い回し、語感も良いです。
しかし、一旦ここから19号線を外れ、落合宿へ。
木曽路というより中山道コースを通って真の木曽路を堪能するコースなのです。
ここで浮かれては行けない。
ニヤニヤしても行けない。
そう自分自身に言い聞かせます。
宿場には立派な松の木が。
これが多いのか少ないのかはさっぱりわかりません。
ひこさんが居れば解説してくれるだろうなぁ・・・
大名になった気分ですねぇ・・・
やっぱり本陣では、
助さん、角さん、ウム、余は苦しゅうないぞ。ワハハ。
なんつって。
まぁ
誰も居ませんがね。
(不審者❢❢❢)
馬籠は大変高地にあり、
中津の盆地から標高を上げていかなければなりません。
ここに街道があったのか?と思われるほどの林道を通っていきます。
しかしやっぱり木曽路は全て山の中。
なんですよね。
峠の入り口での五平餅
さて、馬籠への入り口分岐で五平餅屋さんが。
当然峠の手前では五平餅であります。
峠の手前ではきちんと五平餅をいただく。
これがただしい木曽路流。
最近こうした伝統がおざなりにされつつある。
大変悲しいことです。
まあ、ワタシレベルになりますとね、
ここらあたりでは注文するとき
”いつもの❢❢❢”
こんな注文方法でいけますよね。
(いや、お前初めてだろ❢❢❢)
安定の美味しさですよねぇ。
この3本団子派とワラジ派がありますが、このあたりは3本派なんでしょうね。
みなさんはどちら派でしょうか?
このお店とても流行ってましたよ。
高速神坂パーキングエリアに。
ここを過ぎるともう南信州いわゆる南信の古都、飯田ですので、
県境に近いところに来ていると思うと感慨が深いですねぇ・・・
しかしどっちかというと中津川なのにどうして恵那山というんだろうか?
馬篭宿へ
馬籠宿には側道、つまり生活道がありこちらを選択。
本当は石畳の馬篭宿をしっかりと堪能したいんですが、
せっかく自転車できてるので、生活感をね、体感したいわけなんです。
せっかく自転車できてるので、生活感をね、体感したいわけなんです。
木曽路の生活感を。
(もうビョーキだなお前❢❢❢)
しかしいろいろ立ち寄りしたい場所がありすぎますねぇ・・・。
もしかりに馬籠に立ち寄りしっかりと見学するとなると3時間はかかります。
(どんなペースだ❢❢❢)
あっちを立てればこっちがたたず・・・
馬籠をじっくり歩けば、
今度は妻籠を諦めなければなりません。
なので馬籠を取れば妻籠を諦めなければならない。ということになります。
逆に妻籠を取れば馬籠をあきらめることになる。
そういうことです。
木曽路を堪能したければどちらかを諦めなければならない。
遠路はるばるやってきて、
長野県の妻籠に行けなければ、一体なんのために朝抜け出したのか、
全くわからなくなるのです。
ここにおいて断腸の思いでもって、馬籠宿をスルーすること。
これが世にいう
ないてばしゅくをきる。
泣いて馬宿を切る。
正面には雄大な恵那山が。
春に嫁さんと来たときにはこの恵那山が本当にキレイに見えましたよ。
ここからの恵那山は本当に美しい。
今日はダメダメ・・・
馬籠峠へ
さて、ここからが今回最大の難所、馬籠峠。
今回妻籠に行くには、南木曽の19号から行くというルートと
馬籠峠を超えるルートがあります。
今回、ワタクシは完全に江戸時代中期の旅人の気分にひたってますから、
この馬籠峠超えを選択することにしましたよ。
馬籠峠への入り口はつづら折れになっており、
そこをぶった切るようにして、旧街道が走っています。
いや、大きく間違えましたね。
旧街道をぶった切るようにして新道が走っています。
(どうでもいい、どうでも❢❢❢)
びっくりしたのが、
徒歩で馬籠から妻籠へ歩く方がとても多い。
こりゃいいなぁ・・・
無機質なアスファルトをビューンと車で走るよりもこうした石畳を歩くことで
直に木曽路を味わうことができるのです。
直に木曽路を味わうことができるのです。
いわゆる宿場感を得られるというわけです。
できれば裸足で歩いていただきたい。
(血だらけなるわ❢❢❢)
ワタシも
関の木曽路ソムリエとしてその界隈ではちょっとした有名人じゃないですか。(病院行って来い❢❢❢)
しかし今回は流石に
流石にSPDSLでは無理ですな。
根の上高原、笠置山と連続してSPDクリートダメにしてますんでね。
もうシマノさんに表彰されるくらい。
さて、この馬籠峠、標高はといえば、麓から約250mも登らされましたよ・・・・延々と・・・・
プチTTやったもんですからキツイキツイ。
頂上にて
頂上についてハァハァしてると
頂上で休憩してる人が居ました。
爽やかな春風亭昇太さんがいました。
そのサイクリストの方にご挨拶。
標高801m,長野県との県境になるのかな。
名古屋から途中、人っ子一人居なかったよーワハハ。とのこと。
そして、なんにもないここですでに60分休憩してるとのことです。
初めて会った二人で健闘を称え合います。
江戸時代もきっとこんな感じで旅人同士交流があったんでしょうね。
そしておそらくこの頂上にも小さな茶屋があったことでしょう。
そして旅人たちはお互い
晴れやかな顔で、健闘を称え合い、故郷を語り、そして五平餅を食べながらお茶をすする。
今まさに我々とおんなじじゃあ無いですか。
いやぁ木曽路。
これが木曽路、これこそが木曽路なんですよ。
これが木曽路、これこそが木曽路なんですよ。
お互い健闘を称え合い、今はなき茶屋跡で、手を振ってお別れ。
そう、我々はすでに
木曽人になっているのであり、
もっと言えばすでに木曽路の一部と化しているのであります。
木曽人になっているのであり、
もっと言えばすでに木曽路の一部と化しているのであります。
(病院行って来いホントに❢❢❢)
次回、突然現れた謎の外国人とは!?
無事妻籠宿にたどり着き、キソ・ジーニアス(木曽路の天才)
になることができるのか?
次回妻籠宿最終回
キソ・Geniusへ。
(いや、お前だけだろ❢❢❢)
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