大桑城へ行こう!古城探検!第20弾・山県の大要塞、第二回
大桑城編第二回でございます。
前回は、城山祭りが開催されており、そこで1時間の左へいくか、30分の右へ行くか迷いましたが、
即決で右の道へ。
この大桑城の比高は約350mもあります。
岐阜城はロープウェイが有りますが、麓から登ると比高約300m
これで300mです。
これは毎日出仕する家臣たちもきっと
”うちの殿はどうかしてるぜ、こんなとこに城をおっ立ててよーっ、となりの城なんて徒歩10分らしいぜ。うらやましいよ。
彦左なんてこないだあそこの崖から落ちて足を骨折したらしいぜ。”
といった会話がなされているのでしょうか?
たしか信長公記にも信長が清須から小牧山城に移る際に、最初山城に全員移動しろ!
といったところみんな嫌がってことがぜんぜん運ばなかったのが、
平地の小牧山城に移動ということになったら、みんな喜んでことがうまく運んだ。
という記述が合った気がします。
信長公記いわく、信長がそこまで考えて行動していたのだ。ということです。
さてさて
その後杖を選んで登山開始。
というのが前回までの報告になります。
大変なアップダウンを繰り返すこの大桑城ですが、それもそのはず、こちらは大手道ではなく、後から作られた新道だからです。
一旦古城山のとなりの山まで一気に登り、そこから左の古城山方面までアップダウンを繰り返し登ります。
古城山の山裾まで来るとそこから尾根伝いに古城山のピークに向かうというのがルートになります。
左側は急激な崖となって落ち込んでいます。
道幅は狭く、一人がやっと。
日頃の運動不足もたたり、
ゼェゼェになってきました。
尾根に上がっていきます。
この傾斜は結構キツイです。
ただ、きつい箇所は整備はされており、足場はきちんとしているので大変助かります。
ここは本丸の東側の山頂付近の石垣跡です。
土砂や落ち葉で埋もれていますが、往時はどの程度の規模だったのでしょうか?
いまからはうかがい知ることができません。
ロープが貼ってあり行けませんが、帯曲輪跡です。
ここは本郭の1段下にある曲輪跡です。
下をぐるっと回りこむように削平されているようです。
上部に曲輪が連なっている地域。
さて大変な想いをして古城山の麓までくると眺望が一気にひらけます。
下の谷にある平地が旧城下町跡です。
当時はここにびっしりと家々が立ち並び、物や人が行き交い、その繁栄は他国までに響くほどだったのでしょうか?
いまからはそれを推測することしかできませんが、谷が明瞭に狭くなっているところに四国堀という土塁と堀があります。
ここでフタをして敵の侵入を防ぐという目的です。
根小屋とよばれる城館や城下町の機能はそれ自体が要塞という意味合いをもち、大変興味ふかいですね。
ここに家臣の家族を住まわせることは、防衛機能と人質機能両方を持っているということです。
大桑城大手道コースはこの下の山から登ってくるコースなので大変きつそうです。
ここが古城山ピークに近い本丸下の部分です。
本丸に近づくほど、
道幅は狭く、急峻の崖があるため非常に怖いです。
さらに所々でロープが張ってあり、之をたよりに行くケースもちらほら。
子供にはキツイですが、最高のアドベンチャー、
おちたらただでは済まない、リアルアドベンチャーです。
なにやら上の方から”ガヤガヤ”と人の声がします。
そちらの方に向かって歩いていきます。
今日は城山祭りなので人がたくさん居ました。
ここが千畳敷とよばれる大桑城一の平地です。
台所だったよう。
地元の方に遭遇して色々教えてもらえました。
がんばれーの声をお互いかけつつ、
チョコやお菓子なども頂いてしまいました。
ありがとうございました。
なぞの大石
これがなんなのか、
みんなで議論しています。
ここから上がっていくといよいよ一の丸、天守跡です。
上から千畳敷を望む。
天守跡は大変大きい石碑がありました。
ここから天守出丸展望台へと向かいます。
”お城があるー!”
といってかけだしていきました。
苦労して登ってきただけにこの眺望は大変嬉しいです。
天守跡。
小学校の子供たちの記念木札がかざってあります。
建物のクォリティはこの際どうでもよいのですが、
この大桑城は城山祭りなどに代表されるように地元の人たちに大変愛されているパワースポットということがわかります。
こちらは北方面でしょうか?
ここでもらったパンやジュースを飲んで、日頃のストレス?を発散させます。
岐阜の斎藤道三に追われた土岐氏一族はこの美濃の国随一の山城と城下町をどんな思いで眺めていたのでしょうか?
”人は城”
どんなに強固な城を持っていてもそこに”人”がいなければ儚いもの。
そんな気がします。
ここで一句
時(土岐)が過ぎ、代わり行く間に山県の大いなるかな、勇壮の城
帰りに調子にのってズルズル、スベルの図
第20弾・完