八坂山城に登ろう!古城探検第48弾・川辺町自転車探検編
さて、前回の続き、
よく晴れた土曜の午後、仕事を終えて顔面レーザー(顔面レーザー治療)に向かう途中
1時間というところで、川辺の山の中で
どうしよう???
と迷いましたが、
心の中の
”山城の神様”
に聞いてみましたよ。
迷ったんなら進め。
それしかないですよね。
まよったら進め
または
迷ったら上に。
”それしかボキャブラリーないのかよ!!”
と思いますな。
というわけで走って上に向かいます。
だって
時間がないんですよ。
手術まで1時間をきり、おっさんは山の中で山城を探して徘徊してます。
何してんだ。
時間短縮のために途中まで自転車で行こうと思いましたが、坂がきつすぎて前輪が浮きだしたので、下において走って上まで。
もんのスゴイ激坂。
またケガが増えてしまいますのでね。無理はだめです。無理は。
大体、病院行く前に怪我してくる患者なんてだれも面倒見切れないですよ。
ただでさえ、絶対”フランケン”とか言われてるのでね。
あのひと、眉間に怪我があるけど、手とか脚とか怪我だらけなんやて、
しかも来るたび毎回肩で息してるし、
こないだなんて、背中にポッケが付いてて、バナナだして食べてたんだってぇ~
なんて言われてますのでね。絶対。
やめとけって、良心は言いますけどね、こちとら武儀の古城探検家を名乗ってるわけじゃないですか。
みんなの期待がこの背中にかかっているわけじゃないですか。
いま登らないでいつ登るんだ。って話ですよ。
登り始めたはいいのですが、正直結構後悔しますよね。
休みの日にお散歩に来るのはいいと思いますが、
走って行くのはどうかと思いますよね。
一応片道30分とか書いてあったような気がしますが、
きにしないきにしない。
下の方は林道がしっかりとついています。
このような切通し状の道があります。
だんだん細くなってきましたね。
太い道⇒細い道⇒これ道?⇒あれ、迷ったぽいな・・・⇒ええい、のぼっちゃえ⇒到着
といういつものパターンですね。
今回ばかりは迷ったら終わり。
結構掛かりそうだな。と思って引き返そうと思いましたが、
それでも上に向かっていきます。
名古屋の栄でスターバックス行くくらい心拍あがってる!
まずい、心拍があがりすぎだ、
しいたけはないか、しいたけは。
ていう感じですね。
尾根部に到達。
不完全ですが、堀切になっているようです。
左手が秋葉神社、右手が八坂山城方面というわけです。
ここを堀状にほりこむことで、反対側尾根からの攻撃を防止するのが堀切。
山の頂上をスプーンで繰り抜いたようにしています。
堀切からは竪堀(たてぼり)として量側に落とむ手法。
※山城用語
ちょうどこの絵図で行くと、内小屋のところにある3の竪堀から上にあがり、
2の堀切に到達。といったかんじでしょうか。
堀切の役割は敵の進入方向を限定するもので、
より守りやすくするための土木技術です。
守り手は常に数的優位に立ちたいものですが、山全体から攻撃されれば、一番脆いです。
以下に攻め口を少なくするか。
に重点を置いた場合、竪堀によって進路を規定する。
ということになります。
看板がありました。
右にいくと八坂山城方面とあります。
この山、実は100体近い観音様がまつられており、番号がふってあるようです。
しかし、今回当然数えている時間がありません。
尾根伝いに八坂山の方面に向かいます。
結構しっかりとした看板があるので迷うことはありません。このあたりまでは。
ここからは踏まれた道を進んでいきます。
途中小さい看板がありますが、文字が朽ち果てている物があり、迷いやすいかもしれません。
大体の方向だけ抑えてあとは突っ走るのみです。
ほんとに走ってます。
削平の甘い曲輪あと。
頂上からはそれほど斜度もきつくないので、怖くはありません。
このような看板が随所にありますが、
肝心の方向看板が朽ち果て、どちらに進んだらいいのかわかりません。
こういうことは結構良く有りますね。
かつて本城山では、矢印が反対を向いていた事件がありましたからね。
うろたえてはいけません。
古城探検家としての力量が問われますよ。
古城探検家がよく使うワードが有りますよね。
とにかく前に。
まよったら上に。
これもよく使いますね。
小高い丘を登ると削平された曲輪跡地が見えてきました。
知名度がない割に、ものすごい広い曲輪跡です。
小さいですが、石垣のあともなん箇所か見えてきました。
なんじゃこりゃー!!
思わず声が出ますね。
ヤバイ、病院行く前に、ちょっとどろんこになってきたぞ。
まぁいいか、古城探検だしね。
服が汚れてたら、裏返しにして嫁さんに見えないようにしよう。うん。
古城探検だしな。
頂上に近づいていることがすぐに分かります。
正面に石垣が見えます。
今、
まさにアンコールワットを見つけた最初の人の気分であります。
造作は甘いですが、ここに一つの城郭が存在していた証です。
頂上は300㎡以上あろうかという台地。
大きく削平されています。
極めて広い曲輪跡に、一段盛り上がった場所があります。
この盛り上がった場所が本丸跡でしょうか。
中世の山城というのは、普通の人がイメージしているような館が立っていたわけではありません。
広い曲輪に柵を設け、その小高い部分のみに見張り台兼用の館が立っていたものと思われます。
つまり城というのは、館ではなく、土でみる。ということが言えると思います。
中井先生も下ばっか見てるはずです。
この土木造成技術こそ山城の魅力といえるでしょう。
素晴らしいですね。
この広大な平地前面に柵を設け、どこかに門があるわけです。
中心部は一段上がって館があったことでしょう。
石垣が埋もれてますね。
中世の山城における石垣の役割は、土留のためのものです。
一般的な館が立っていたわけではない可能性もありますが、よく原型をとどめています。
なんと正面に、川辺の町が見えてきました。
朽ち果てた城址です。
赤い橋が川辺名物山川橋になります。
飛騨川の流域であり、ここをたどると
七宗、
白川、へと続き、
飛騨の国に入ります。
金山、
下呂、
上呂、
萩原
そして
小坂と続き、
標高3,000mを超える御嶽山へと行き着く道になります。
そらは快晴であり、乾いた風が汗を吹き飛ばしてくれます。
思いがけないご褒美ですね。
比高差は150から200m程度でしょうか。一気に駆け上がってきました。
正面やや右の形のよい山が通称米田富士。
米田城跡です。
米田城も登りやすく、見晴らしが良いので、是非おすすめですね。
南の神社から登っていけます。
正面右には白山や馬串砦も見えます。
朽ち果てた石垣。
台地を降りると、今度は出丸跡にでます。
ここも大変見晴らしが良いですね。
現在は御嶽神社として保存されているようです。
小さい休憩小屋があり、見晴らしが良いです。
そういえば、もうすぐ手術なんですが・・・・
カメラの調子が悪いので、あまり写真を取れませんでしたが、
最後は転げ落ちるように走って帰ってきました。
ようにってか、若干転げ落ちてたかも知んない。
右足の膝がちょっと違和感が出てきたようです。
ここまで峠を何個も超えて約40Km自転車で走ってますので、しょうがないですね。
さて、ここから川辺の裏道をだとって、国道に出てきました。
ここから病院までは7km程度でしょうか。
ペースをグングン上げていきます。
国道にはいると自動車の邪魔にならないように隅を走っていきます。
信号が多くなってくるので時間が気になりますが、なんとかかんとか間に合いました。
いや、今回はまじで危なかった・・・
危うく遅刻するところ。
どろんこの汗だくですが、しょうがないですね。
さて、レーザーですが、顔の傷を直してくれます。
”大分よくなりましたねー”
といわれましたので、
”いやー、フランケンシュタインでしたからねー”
というと
”フフっ”
と笑われましたね。
最初は顔に入念に麻酔を打ちます。
電動あんまみたいなものを額に当てて
”痛いけどがんばってくださいね。”
注射器で麻酔を注入。
そりゃがんばれますよ、
叶姉妹だって、AKBだってこうして顔面にメスを入れてきたわけですからね。
横になると
痛いどころか猛烈な眠気が襲ってきます。
もう半年くらいこんなことばっかやってますのでね。
なれたもんですよ。
ルーチンワークですな。
そのあと、顔面にテロリストみたいなマスクをして
CO2レーザーというもので、
皮膚にジジジっと当てます。
”まぶちさん、これで様子を見ますね。”
先生が言います。
さらに
”激しい運動はやめてくださいね。”
と言われましたので、
”わかりました。”
と答えました。
眉間にどでかい包帯をつけてテープでぐるぐる巻きにします。
フランケンからミイラ男になりましたよね。
レベルアップわーい。
帰りは、激しい運動はやめてと言われましたので、
ということで
”軽いペダルの方”で帰ってきました。
約10km軽い方のペダルでモリコギしてきましたよね。
結局土曜日は仕事があったにもかかわらず60km以上走って帰ってきました。
やっぱり坂は楽しいな。
明日は嫁さんと子どもとで川辺ライド、?今日も言った気がするな・・・