美濃小倉山城へ行こう!古城探検・第28弾・まち歩き編・第1回
さてさて久々の古城探検です。
葉加瀬太郎エトピリカにのせて。
今回は、嫁さんの美濃のおばあちゃんに、
バームクーヘンを届けにいくというミッションでございます。
若干見た目がしょぼめですが、とても美味しいと評判なのです。
下の子はチャイルドシートに載せます。
関から来たよ!
と脅かすために今回はノーアポイントメントでございます。
見てください。この天気。
頭の中と同じで、なにもありません。
”本日も晴天なり”
でございます。
ルートはこういうルート。
行きピンク色
帰りブルー色
関市街を抜けて裏にでました。
関でも市役所のある当たりは、開発されておらず、農道がひろがります。
市役所から関テクノハイランドに抜ける道は歩道が大変広く整備されております。
美濃市はいまだに”みのまち”と呼ぶ人が多く、
旧上有知という地名があることから、関の下有知と本当は対になっていたと思います。
この美濃市は旧合併の際に、関と合併することを良しとせず、独立の道を歩みました。
非常に独立気風が強く、地元愛が強いことでも有名です。
美濃市民が
”今年行く?”
というのは、
”今年(は美濃祭り)行く”
の略であり、
行くことは当然として、
広義では
”今年(は美濃祭り何時に)行く?(一緒に行かない?)”
という意味なのです。
僕達旧武儀町民は、帰るべき地名がなくなりました。
美濃は旧地名であり、
地名に誇りを持って、
これからも独立気質を持ち続けてもらいたいと思います。
そんな誇り高き、美濃市に
いや、
美濃まち
に向かって
汗をかきかき、
必死にペダルを回します。
ここが関テクノハイランドの道になります。
自動車で来た時には気づきませんが、大層な登りになっていることに気付かされます。
関市は、人口約10万と少ないながらも、世界的な刃物産地であり、
事業所数岐阜県で2位ということで非常に産業が盛んな地域でもあります。
また自動車、刃物、金属、木工とその幅も広いことでも有名です。
美濃市は美濃和紙に代表される古の産業群と観光資源があり、近代的な関とは一線を画しています。
武儀町民からするとどこかやっぱり、格式の高い感じがしますね。
ビジネスプラスイン関の懇親会で、
下呂は金山の会社の専務さんと話して熱くなったのは、
金山も下呂と合併して
町民ではなく市民になったからです。
それぞれ地域の誇りを持って、仕事をしている。
そんな気がしました。少し。
登坂が結構キツイです。
いつも巨大噴水になるので、皆で止めにはいります。
頂上に登ると信号があり、ここを左手に曲がるとすぐに美濃市です。
くだり坂が続くので、ブレーキをしながら降りていきます。
会社帰りは、坂道を降りるとき、時速56kmを出したことは家族には内緒です。
東海北陸自動車道の高架下まで来ました。
ここが美濃インター下のドライブインです。
サピーショッピングセンターとオークワがあり、新美濃市街といったところでしょうか。
雄大な郡上連邦がそびえ、空気も心なしか綺麗な気がします。
これが美濃が誇る、美濃和紙群です。
アイスを取り合うの図。
写真を撮っているのでいませんが、普段は3人がかりです。
アイスをひとつ買って皆で分けて食べます。
海外製の安物とはわけが違います。
光り方が違いますね。
日本刀もあります。
改めていろんな場所を見ると地元地元の名産があってとてもおもしろいです。
サピーの道を直進すると良いという情報をゲットし、そこから北上していきます。
約1-2km直進道路がつづきます。
大きく深呼吸をし、おばあちゃんの家に向かいます。
郡上へ抜ける主要道の裏手にあたりますが、結構車が多いです。
横をビュンビュンと車が通り抜けます。
中央が美濃市役所であり、
その左の小高い丘が小倉山、ちょこんとあるのが小倉山城展望台。
美濃市役所の右手の皿をひっくりかえしたような山が
鉈尾山城です。
美濃の古城山として有名です。
ここから市街に入ります。
ひたすら坂がつづきます。
結構アップダウンが強いことに驚かされます。
美濃という町が小倉山城を中心とした小高い丘にあるという事実がわかります。
石塔の真上が小倉山城展望台にあたります。
ここから山を下って、
サークルケーに入り、ついたら皆で食べようとおにぎりとお茶と、いろんなものを買って
向かいます。
美濃の曽代に入り、おばあちゃんの家に付きました。
遠路はるばる14KMの道のりを小学生と保育園の孫がやって来ました!
しかし、
”おばあちゃんがいません。”
ここで痛恨の戦略ミス。
80を超えるおばあちゃんの行動力をなめてました。
三人でしょぼしょぼおにぎりを食べます。
今回初の衝撃でしたが、
きっと気持ちは伝わると思います。
バームクーヘンを軒先に置いて出発します。
曽代から
小倉山城と美濃橋を見ています。
このロケーションは
この美濃を象徴する景色と言えます。
ここからトンネルを抜けて武義高校の上を通りました。
ここも相変わらず、激坂区間であり、
ヒーハー言いながら登っていきます。
ここが母校武義高校です。
武儀町と武義高校は同じに見えますが、
漢字が違います。
にんべんが有る方が町であり、義理人情の義が武義高校です。
武義高校があるのが美濃市になります。
もう訳がわかりませんね。
こうした奥の細道的な感じも美濃市の良さです。
武義高校から美濃市街へ自転車で降りていきます。
ここも坂、あそこも坂でございます。