顔戸城を見に、御嵩町を歩こう。古城探検!第19弾
岐阜県の御嵩町というのは大変古い町で、古墳あり、史跡有りの町です。
位置的には中濃または東濃に位置し、中濃との境にあります。
可児の東どなりにある大変広い平野をもつ肥沃な地域です。
そのため各豪族のお城が大変多く残っていると言われています。
ちょうど子供が自転車に乗り始めた時で、自転車に乗りたいとぐずって聞かなかったので、連れて行くことに。
計画では、御嵩町から約4-5km離れた御嵩小原城までサイクリングで行き、
そこから山城である小原城を攻めるというインパール作戦も真っ青の素晴らしい計画でございます。
御嶽駅のとなりの御嵩観光協会に電動自転車もある、レンタサイクルがあるということで早速訪問・・・
しかし、訪問したのが14時過ぎで、レンタサイクルが15時30分まで。ということで泣く泣く断念することに。
そこにあった御嵩マップをみると兼山との中間地点に
”顔戸城跡”があるということでこちらをほうもんすることに決定しました。
ここに宝塚古墳というところを入れて片道3.1KMあります。
さてここから出発でございます。
そんなヘルメットはずしてしまえ!
などと親らしからぬ発言は、もはやどっちが子供かわかりません。
佐吉、茶を所望するぞ。
ということでいきなり五平餅で一服でございます。
実はこの御嵩は中仙道の御嵩宿が合った場所なのでございます。
街道の風情を随所に残しております。
街道は枡掛け跡と言い、敵の進軍を防ぐためクランクがあります。
ちょうどこの御嵩駅のところでクランクになっているためそこから北方面に向かいます。
正面には”御嵩富士”が見えます。
信号から左に行ったところが中仙道です。
この風情、馬籠、妻籠などに見える
ザ・中仙道ですね。
御嵩口駅のところを右折し、国道の交差点がありますが、ここの交差点も直進します。
幼稚園が見えるところを左折していきます。
ここから田園風景が見えます。
向の方にゴルフの打ちっぱなしのコートが見えるとおもいますが、
このあたりが顔戸城跡になるようです。
ひたすら歩いていきます。
右手がゴルフ場、
場所がわからないので、ゴルフ場を左に折れ、国道方面に向かいました。
途中、聴きこみを開始するも、地元の人でもよくわからない!
と言う事。
本当にあるのだろうか???
と少し不安に思いながらホを進めます。
このスーパーヤマトさんでパンとジュースを購入しつつ、情報も収集。
するとこの裏手にあるよ!
とのことで調査再開。
このこんもりした丘があやしいぞ!
ということで突撃すると・・・
ありました!
これが顔戸城跡です。
なにやら土塁がかきあげてあるような風情があります。
堀は眼下に落ち込み、明瞭な土塁となってそこにそびえていました。
写真ではわかりにくいですが、2mは落ち込んでいます。
驚異的な深さです。
土塁の中に切り込みがあり、ここが城門跡ということがわかります。
土塁がよく分かる写真。
掻き揚げ土塁。
ここから国道に戻り、さらに右折し、土塁の周囲を見て回ることに。
土塁を回りこむようにきたつもりが、どうしてこのような形状になっているのか?
イマイチわかりません。:
突如林が存在し、ここに明瞭な通路があります。、
掻き揚げ土塁の中を通ります。
ただの草むらに見栄ますが、右手が土塁、右手手前が空堀となっております。
林を抜け右折したところです。
後から写真をみて初めてわかったのが、回りこんでいたと思っていたのが、
なんと城内をさまよっていた。
ということです。
つまり通ってきた道は、城の大手道にあたり、
この城の大手道から搦手門にあたる門、つまり土橋を渡ってきたということです。
天空図を見るとよくわかります。
進行方向は右手上からです。
ゴルフ場を左折し、そこからまちなかに入って行きました。
回り込んだと思ったのは、城の中で如何に巨大な城塞だったかがわかります。
現在でもこの内部は”構”という地名のようです。
周囲は巨大な土塁と空堀で囲まれています。
現在は竹やぶで覆われていますが、大変興味深い遺跡なのです。
搦手門のところは大変大きな土橋が現存しております。