信州高遠城跡に行こう!さくら祭り編・古城探検第35弾・第3回
さてみなさまこんにちは。
休みの日に食器棚の奥に隠してある
”うまい棒チーズ味”を
アタマから潜り込んで取ろうとして若干首の痛い”まぶち”でございます。
第3回ですが、
信州は高遠の桜まつりは4月に開催され、城址公園を巡っております。
今は綺麗に整備され、全く過去の遺物がないといえども随所に城跡らしい形跡をのこします。
例えばこの橋の下。
開発が進んだとはいえ随所に城らしい遺構が残されています。
代表的なものは、この曲輪間の堀でしょう。
小山を切削してこのような堀を作り、各曲輪間を独立させています。
ハッキリ言って、カメラがあるから桜を撮っているようなものの、
ほうどういん曲輪から 二の丸へ向かう橋の上では遠く信州のアルプス山脈が見えます。
桜間から見えるこのアルプスの風景は、やはり長野ならではですね。
さて、やがて2の丸を通過して本丸跡へと到達します。
今年はロードバイクで花粉症が治ったので、
”春が幸せ”
でございます。
高遠城の戦い
古戦場跡の看板があります。
ごった返す人混みの中、一人涙をながします。
三千の兵はことごとく城頭の花と散り果てた
とありますが、
まさに
ここに、
今ここに桜が咲いている。
これは涙を誘いますね。
手を合わせしばし涙を流します。
周りの視線を気にしつつも
目的はすでに達成され、
はっきり言ってこのまま
帰っても良いのですが、
このままですと
セルジオ越後が試合後に文句をいうくらいの確率で
暴動がおきますのでね。
このまま散策を続けたいと思います。
仁科盛信公の主君武田勝頼と
織田の信忠は
それぞれの家の跡目であったという点で共通しています。
武田勝頼と織田信忠。
これがあまりに対照的すぎるところに悲劇性があります。
桜のように伸び盛りの織田家
と
ピークを過ぎてしまった紅葉のような武田家、
どちらかと言うと家格が上だったはずの勝頼の心中はいかばかりであったでしょうか。
人は城、人は石垣・・・の言葉どおり
人心の不和の元、
脆くも崩れ去った大国の主は、
天目山の人知れない山中で寂しくねむっているのでしょうか。
一方で
最期まで”義”を貫いた、
仁科五郎盛信はこの桜の山でたくさんの人に慕われながら
今もなお高遠の地を見守っているかのようです。
第3回おわり